千利休七訓に学ぶ（その７）
堺市ホームページより
三 冬は暖かに 夏は涼しく
１ 千利休の思想と行動
利休は、理屈ばかりを振りかざし、実（まこと）しやかに考えを押し付ける人を嫌っ
た。一つのベースとなる考えを持ち得れば、他は「自然体」で、というより無我の境地
で振舞えば好いとした。
利休の生きた時代も、世間には『あれはこうだ』『このようにしなければならない』
『このようにあるべきだ』と捏ね回す人が多かった。禅定により透徹された眼から見れ
ば、既定の考え方が悪弊を蔓延させていると見通し、我欲と権勢ばかり追う姿を忌み嫌
い、利休は後の日に、天下人で関白の豊臣秀吉から切腹を命ぜられて果てる。
２ 四季と生活
四季の移り変わりが明確なモンスーン地帯では、四季による物の考え方や人生観、ひ
いては生活態様にも大きく影響した。
年間を通観すれば、誰しも冬は暖かく、夏は涼しいにこしたことはない。現代では、
冬は暖房と暖かい服装を、夏の室内や乗り物はクーラーを完備した快適さを実現させ、
梅雨時には蒸し暑さに閉口する言葉を発する。しかし、快適生活はいずれ枯渇する化石
燃料の使い過ぎや、地球温暖化の問題を生じせしめている。
好適な気候環境は心身のダメージは少ないが、鍛錬しなければ身体は向上しない原理
がある。
筋力を例にすれば、「平常生活時の筋力活動は、最大筋力の40％程度で均衡が保たれ
ている」といわれるように、苦労なしでも無事生活は送れる。だが、武道やスポーツの
上達を望むならば、心肺機能や筋力の強化が技能向上に影響すること多く、平常時と異
なる運動負荷や長時間の激しい訓練が必然となる。
心肺機能以外の臓器も、楽な快適生活ばかりが最善ではない。ある程度の生活や活動
の中で平常時以上の負荷を掛けることで、強靭さと長命への道が開ける。
古くから、「ぬるま湯にドップリ浸かったような生き方」の言葉があるように、安穏
たる快適生活ばかりで生き甲斐は得られない。「生き生き人生」を歩むには、何時、何
をすべきか改めて考え直す必要がある。
勿論、以上のことと利休第三訓の意味は、全く次元の異なる事象であるが。
３ 山形大学空手道部往時の練習
私が山形大学に入学したのは昭和29 (1954) 年で、高校３年の７月から生齧りの空手
を始めていたから、空手部入部は入学前から決めていた。
当時山形大の屋内体育施設は、コンクリート敷き小さな「体操場」（当時の呼び名）
だけだった。狭い場所に卓球部、重量挙部、空手部など分け合いひしめいていた。他に、
リノリューム（洋風床の敷物）張りの講堂で、机を片付けて練習したこともあった。勿
論、暖冷房などあろうはずもない。
冬期間と雨天日を除き、窮屈を嫌って高台の草原運動場脇（中央は野球部）が練習場
だった。いずれも、蹴りが当たれば空手衣に足底の汚れが着いた。
草原運動場は、炎天時には大きいヤカンに飲み水を汲み置き、寒い日は鳥肌立って震
えたが、何しろ広いので基本練習を 100回まで号令を掛け合い、何度も往復していた。
夏休み前には全員逞しい日焼け顔だった。
寒稽古は立春前の１週間で、毎夕方厳寒の中を裸足で４kmほど走った。膝上まで雪の
日とか、自動車の轍（わだち）が凍って角（かど）張る日も多かった。１年生は全員霜
焼け（軽い凍傷）の足を引きずったが、２年生以上になると足の辛さ誰一人言わなかっ
た。
異常なトレーニング環境下に体を馴らすのを「順化」というが、目的によって与る条
件を強度にし、順化させながら強化し、トコトン鍛え上げるのが空手の練習だと思って
いた。
山大空手道部では長年こんな状態が続いたものの、現在の第一体育館は昭和38年５月
に完成し、各運動部の使用場所（範囲）と時間帯で主張が折り合わず、何度も協議を重
ねた結果、小白川キャンパスだけで60名近い部員数と、学外試合の成績や活躍度から、
空手部が最優先と決まった。第二体育館（武道場付き）が完成したのはその３年後で、
練習場所が第二体育館に移ったのは昭和60年頃である。
３ 崇武館本部道場の今
崇武館道場の創設は昭和46(1971)年で、当初冬でも暖房器具は置かなかった。武道練
習は暑さ寒さなど苦にしないものと考えていた。ところが、昭和49年から少年部を開始
し、その冬から石油ストーブ１個を置き短時間だけ点火した。大晦日の夜は「年越し稽
古」で、除夜の鐘とともに鉄砲町「六椹八幡宮」まで裸足で走って初詣し、年間無事の
頑張りを祈った。
設立から20年間ほどは道場周辺に田圃が多く、夏は無数の羽虫が入るため窓は開けら
れず、網戸も換気扇もなく暑さに閉口した。ここまでは、利休の第三訓と全く反する状
態であった。
現在の道場は平成17(2005)年１月に改築落成した。この新道場は、冷暖房エアコンを
設置してある。冬場の寒さ知らず当然で、真夏は快適そのものに一変した。
道場には、幼児から高齢者までいる。最近の傾向として、特に幼児や青少年の安全管
理は不可欠で、まさに「冬は暖かに」「夏は涼しく」の条理は整っている。
他にも、高窓にして窓ガラスへの衝突を排除し、下窓により気流を作り、網戸も完全
なので羽虫も入らない。練習環境に特段の気配りをした理由は、思い切り練習を可能と
するばかりでなく、旧道場で時折発生した熱中症を軽減する狙いもあった。
４ 練習環境善し悪しと功罪
練習環境とは、快適気温ばかりが課題ではない。板敷きかマットなのか、照明、周囲
の広さや天井の高さ、練習者の人数、指導者の方針などの他、多角的な要素で成り立っ
ているが、ここでは温度に限り論じていく。
最初に、快適条件下での練習と、その善し悪しを述べよう。
まず、柔軟性は体温が上昇すれば増すという。体温の変化は、一日の中で午後２時頃
が一番高くなるから、この時間帯なら最も柔軟性を求めやすい。お風呂上りは体温が上
がっているので、体の堅い人は直後に柔軟体操を行なえばよいと言われる。空手の場合、
単に体が柔らかいだけでなく、全身の瞬発力と機敏さが要求される。
また、怪我の防止にウオーミングアップは欠かせないが、気温が最適なら効果は大き
い。要するに「早く体が温まる」状態である。
空手練習では、全身の動き調整を十分に行なう必要がある。こんな時直ぐ思い浮かぶ
のは、冬の寒さと圧迫感から開放される春期と、夏の酷暑から逃れられる秋の涼気は、
爽快に過ごせて精神的にも安定感に満ち、頑張る力が漲る雰囲気に浸れる。
一方、寒過ぎる環境下では、体が縮こまり、温まって滑らかに動けるまで時間を要し、
休憩して動きを止めれば短時間で冷えてしまう。
暑すぎるなら、体温は上昇し体力の消耗が激しく、水分も沢山失われ渇きを覚える。
少しの行動で息切れしやすく、集中力が薄らぎ飽きっぽくなる。暑い中で長時間動きを
継続すれば場合によっては「熱疲労」「熱射病」「熱痙攣」「日射病」「熱痙攣」「熱
失神」といった熱中症の発生も懸念される。
５ 空手練習と寒暖
ここまで述べてきたように、練習やトレーニングの狙い（達成目標）と最大効果の追
求は、好適な環境の中で、良い指導者のもと思い切り行動で鍛えることできれば、理想
的な状況を得られる。
寒中の雪道とか砂利道を裸足でランニングすれば、辛さに耐える我慢の力や、足底の
皮は厚くなっても、走るための脚力や心肺機能の強化、走るフォーム矯正等の効果は期
待できない。反対に、走るトレーニングに適合した靴、天候に適う服装、帽子や手袋や
サングラスなどの小物、インターバル走法か持久走かの設定など、目標に合致させた条
件の選択が可能なら、悪条件の前者と一変し効果は大きい。
しかし、以上は一般論であって、時と場合によっては過酷な条件下で目一杯の奮闘を
期待し、辛くともやり通す不屈の精神、山大空手部のところで述べた悪環境に耐え得る
心身を養成するのも一つの方法である。
高校や大学の合宿練習では、１日の練習時間が通常の３倍にもなり、しかも単調な練
習が延々と続く場合がある。
指導者は何故そんな練習計画を立てるか、それには理由がある。通常時と異なる過酷
な状況下で練習強度を掛けられて耐えた結果は、後に同程度までの苦しさ辛さなら、何
時でも乗り切れるという自信と、自信に裏打ちされた意識高揚の効果がある。
旧来、武士とか武道家は、四六時中（24時間一日一杯の意）危難に備えて武術と精神
力の鍛錬に努めたという。いかなる悪条件下にあっても、武力に劣り隙を衝かれて言い
逃れができないばりか、落ち度や名誉損失の軽重を問わず、落命かお家断絶の措置が待
っていた。今はこんなことないが、古くは生まれながらにして厳しさを背負って生きて
いた。
スポーツや武道を稽古鍛錬するとき、重視されるものに動機(motive)と情熱(passion)
と意欲(motivation)がある。学校の勉強だって同様で、苦痛に自ら立ち向かう気勢が大
切であり、やる気満々、旺盛な意欲は苦労を苦とも思わないで人生を歩むことできる。
第三訓を指導上でいかに捉えればよいのか。
それは心底から相手を想う「いたわりの心」であり真実からでる「思いやり」と「気
配り」である。「空手を通じて人間を育成している」ことの重大さをもって、何を考え
て指導すればよいか、何を整えればよいかなど模索し、最善の答えを発見することであ
る。人を育成することは、その人の人生を育むのだと認識すれば、自ず自己鍛錬の重要
さと責任の重大さが分かると思う。
６ 体温上昇と健康
最近、「体温を上げると健康になる」という本が売れているようだ。
その本によれば、体温は正常値より１度下がると免疫力は30％低下し１度上がると500～
600％（５～６倍）免疫力が上昇するといわれる。
人体はストレスや外害から身を守り健康を保つため、自律神経の作用とホルモン分泌
の二つの機能が備わっている。それは自律神経の「交感神経」と「副交感神経」二つの
バランスが免疫系を支配し、「副腎」から出る「コルチゾール」ホルモンが細胞の受け
たダメージを回復する役割を担っているからで、明らかに防御と修復の機能といえる。
この二つが正常に働けばよいのだが、現代の傾向として、恒常的なストレスを感じな
がら生きている人が多いと言われており、大きなストレスが長く続くと、自律神経が過
剰に緊張してバランスが崩れ、血流障害が発生して低体温になる。余談だが、癌細胞は
35度台の低体温のときに最も活発に増殖するといわれている。
健康のため体温の高い状態を意識的に保つ手段として、まず「体温を一時的に上げる」
行為を繰り返し、次いで「体温を恒常的に高い状態を保つ」ようにすればよい。
この両方の条件を可能にする方法は、「筋肉を鍛える」ことである。「筋肉を増やす」
でなく「鍛える」である。「鍛え」によって健康で長生きできるなら、楽しみと相まっ
て「一石二鳥」であり、それを可能とする手段はと問われれば、空手が最も適った種目
だと私は確信している。
スポーツや武道のトレーニングで、「徐脂肪体重」（real weight）が問題視される。
鍛えることで、「徐脂肪体重」が増えるなら大変結構なことだ。
７ 第三訓に学ぶ
利休は、茶室に客を招いたとき「冬は暖かく、夏は涼しく」感じ、客が心地よいと思
ってくれれば、招いた立場から満点としたのであろうか。私は違うと思う。
客の中には、敵する者や快く思っていない者だってあるだろう。現に関白豊臣秀吉は
利休を妬ましくて仕方なかった。
利休を評すれば、「直心」に生き、固有の「美意識」に彩られ、「自我の尊さ」を貫
いた人だったと私は思う。
天正19 (1591) 年旧２月28日、秀吉より賜死を受けた利休は、京都聚楽第の利休屋敷
一畳半の茶室の中で、見届け役の正客となった蒔田淡路守から、『上様は、貴殿からの
助命嘆願をお待ちです。ただ一言お詫びなされませ』の勧めに、『私が、なんで詫びね
ばならんのでしょうか』と逆に問い、『この利休めにとっては、命より茶が大切でござ
る』と言い切り、切腹して果てる。
註：この記載表現は、山本兼一著「利休にたずねよ」を参考にした。
こんな利休が、客のために「冬は暖かに・・・」から受ける印象そのままが真意だと
思うか。それならば、誰にでも出来そうな「気配り」に過ぎない。
勿論、生きていく上で「気配り」がなければ、周囲とのコミュ二ケーションが上手く
運ばない。だが、「気配り」のせいで妥協が生じたり、自己信念の後退を余儀なくされ
たり、他を見透かす気持ちが出るなら、目前の現象への対処で終わってしまう。無我の
己（利休自身）が持つ人間性に導かれ、その場に臨んではじめて起こる衝動が支配する
心意が、本当の利休の世界だったろうと思う。
「利休七訓」は、私たち一般人の思考からすれば、そのまま受け止めて大切にしたい
有り難い教訓ではある。
四 花は 野の花のように生け
意味は、「床の間には、花が野に咲いているように、自然の姿で生ける」である。
１ 野の花と生き物
花は、野鳥は、魚は、虫は、木々などは、他にも無数の生き物たちは、生まれ出たと
ころに、生まれたままに生きる姿が最も美しく、命の尊ささえ感じる。
「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」という句がある。「蓮華草は、野中に咲い
ているからこそ美しいので、摘み取らないでそのままにしておこう」という意味だが、
この句から自然を愛でるだけでない、生とし生けるものに対するいたわりの心を感じる。
２ 茶室に生ける
花は、野にあれば最も美しいはずなのに、これを室内の入れ物（花器）に移す。本来
すべきでないことをするのは、自然の物に対する絶対的な憧れの現れである。飾るので
なく、姿は野の花のように生けるなら、当然花に対する「いたわり」と「気配り」の意
図は果たし得る。
３ 空手修行と野の花
私たちは、一人ひとり違った個性と個体によって成り立つ。生きることのありがたさ
は、残念ながら日ごろ振舞いの中でめったに感じていない。また、何時も感じようと努
力したとてあまり意味はなさそうである。
花は同じ木元から出ても一つずつ違いがあるように、人間も誰一人同じでないから、
空手練習で一人ずつ動きの特徴や進行の度合いは異なる。
大会や試合に出場すれば、勝ちか負けか二つに一つで、いやがうえにも勝敗が決めら
れ、厳しさこの上ない。ここでも一人ひとりのパフォーマンスは同じでないし、本人に
すれば良ければ嬉がり、駄目なら落ち込む。少年の場合なら、親が見れば半分は贔屓目
あっても仕方ないし、本当の姿を見極め適切なアドバイスを行えるのは指導者の役割で
ある。
好結果もあれば、目標達成に至らない場合があっても、全力を尽くしたことに感動で
きる人間を育てるのが、この訓から学ぶ最たる眼目と心得たい。
練習対象者の場合、促成タイプもあれば晩成タイプだってあるから、どの辺で急成長
に向うかは拙速に判断しないのが賢明だ。
（つづく）
４月で本題を終わりにします。
