船越義珍の空手二十ケ条とその解説
仲宗根源和編「空手道大観」の松濤二十箇條(PDF形式) 第１４条 戦いは虚実の操縦如何(いかん)に在(あ)り [その１]
１ 言葉の意味
(1) 戦いとは
「戦い」の言葉から、「戦（いくさ）」とか「戦争」、「闘争」「争い」が連想され、
日ごろ会話の中で「戦い」とか「戦う」と使用すれば、「相争う」意味を強く感じられる。
日常些細な行き違いや感情のもつれから、喧嘩になることあるかもしれない。喧嘩そのも
のを戦いと言わないが、「相争う」ことと同義である。
だが、「戦い」には、もう一つ、「勝負」という意味がある。「勝負」する心象や現象
も含まれ、「競い合う」状態を「戦い」と表現する。
「競い合い」は、互いに切磋琢磨し自己を高めようとするならば、好ましい関係が成立し、
学業や社会生活上「競い合い」できるライバルの存在は尊い。しかし、相手を蹴落してま
で、自分さえ好ければと自己本位に傾くなら、これは生き残りを懸けた醜い「戦い」とな
り、私たちの話題から遠のいてしまう。
前者の場合は、スポーツやゲームなど、自分自身をより向上させ、人生の楽しみをつく
りだし、互いに分かち合い、仲間と共に喜びを享受する手段として、人間の英知が生み出
した行為で、私たちも「競い合い」による恩恵に浴している。武道やスポーツで、目的の
主柱とされる「競い合い」は、その人の人生感を養い人格形成を助長し、物事を公平に見
て不正を排除する精神が涵養される。自らやって楽しみ、見て楽しむ、話題にして又楽し
むのは、現代社会に不可欠な一分野とされる所以である。
武道修練の中で、経験の積み重ね(稽古)と対人関係の中から、自然に身に付くであろう
人間性の高揚と、周囲に対する同和協調の精神こそ、良い意味の「競い合い」から造成さ
れる固有の財産である。
この条文では、「戦い」は対人練習において、相手との真剣な技の応酬は大いに益する
と理解し、無策でその場に臨むのではなく、作戦や戦術、戦略を駆使して習練に励み、効
果をより高めるよう努力せよとのことである。
(2) 虚実とは
まず虚は、「むなしい」「むなしくする」とか「いつわり」の意味である。慣用句とし
て、空虚［空っぽで心のよりどこらがなく空しい］、謙虚［へりくだって、ひかえめ］、
虚己（私心、欲望をなくする）、虚心［心を空にして何も考えない、私欲の無い心、「虚
心坦懐」などと使う］、虚引［私心をなくして、公平に人を受け入れる］、虚中［他のこ
とは考えないで専心する。又は空腹］、虚礼［形式だけで誠意のこもらない礼儀］、虚名
［実質の伴わない上辺だけの名声］、虚言［真実でない言葉、実行の伴わない言葉］、虚
空［大空、人がいないところ、物の実態を離れた境地（仏教語）］、虚空蔵菩薩［知恵、
慈悲がこの上なく広大な菩薩］、虚栄、虚栄心、虚弱、虚妄［うそ、でたらめ、いい加減］、
虚偽、虚張［空っぽ、虚勢を張ること、から威張り］、虚左［賢者を厚く待遇する］、虚
構、虚勢、虚無［何も無いこと、目で見ることのできず言葉で説明することができない混
沌としたもの。心のよりどこらがなく空しいこと］、虚説、虚談、虚霊［心にわだかまり
が無く霊妙で、鏡のように全ての真実の姿を映し出す。「虚霊不昧」などと使う］、虚憍
［身分の分際もわきまえずに奢りたかぶる］などである。
次いで「実」の方だが、本字は「實」で木の実、草の実の果実。そして「みのる」（草
木の実の中身がつまる）「みちる」（内容が一杯つまる）「まこと」（内容があってそら
ごとでない）「まことに」（ほんとうに）の意味です。慣用句として、真実、口実、切実、
誠実、不実、充実、忠実、名実、故実［昔の儀式、作法、服装、法令など］、無実、如実
［実際そのとおりである。ありのまま］、実力、実在、実印、実技、実態、実直、実学
［理論よりも実用を重んじ、実際に役立つ学問］実事求是［事実に基づいて事物の真相、
心理を求める］、実相［物事の実際に姿。宇宙の全ての現象を離れて存在する不変の真理、
真如の本体（仏教語）］、実費、実業、実廉［本当に清廉潔白なこと］、実歴［実際に経
験し見聞したこと］、実語［真実を伝える言葉、言葉と行動が一致し相応する］、実地、
実用、実録、実質など、実が付く言葉は沢山存在する。
この二つの文字が熟語となった虚実は「無いことと有ること」、「空虚と充実」、「嘘
と誠」となり、これは第一義である。第二義は「防備の有ることと無いこと」、「種々の
策略を用いること」の意味である。第二義は、現在一般語として用いる例は少ない。
「虚々実々」という使われ方もあるが、これは後の項で述べる。
(3) 操縦如何にあり
操は手を使って「あやつる」で、縦は「ほしいまま」「したいほうだい」となる。
これは人や物を自由自在に動かす意味で、自動車の操縦のように乗り物や機械の操作な
ど頻繁に使用される。
如何は、「どのように」とか「どう」と使えば、「如何ともし難い」となる。「ことの
しだい」「様子」「状態」の意味であれば「理由の如何を問わず」と、どうしようもない
ことを「如何せん」などに用いる。
ここでは、『対戦は、相手の出方によって防備の有無を見極め、策を練って、作戦を使
い分け(操縦)できるかどうかの工夫によって、その優劣が決まるであろう』と解釈できる。
２ 空手と虚実
(1) 前条との関わり
第13条は、『敵によって転化せよ』でした。「虚実」と「転化」と言葉は違うが、共通
点は相手の状態や出方によって、適切な変化対応を行なうで、この二つは１セットとして
考えられる。
転化と虚実の妙を使い分け、どんな場面に遭遇しても空手の技を自由自在に駆使できる
よう、その融通性が肝要である。
空手に限らず他種目でも同様だが、技能修得には次の二つがある。
①基本や形練習のように、パターン化された中から学ぶ。
②この条文や第13条のように、ノン・パターンの中で対応して学ぶ。
双方ともに大切な空手学習のケースで、片方だけで大成は難しく、②の場合が虚実に関
わる部分である。
私は、この「空手二十箇條」解説シリーズで、練習過程や心のあり方を主眼に進めてき
た。身に危険が及ぶとか、実戦を余儀なくされるなど、教育上好ましくない表現は極力避
けてきたつもりだ。しかし、実際に危害から身を守らなければならない場面に遭遇すると
か、他者が困惑しているところに居合わせたなら、武道家として手を拱（こまね）き見て
見ぬ振りができるだろうか。また、自分や家族の身は絶対に守らなければならない、困っ
ている人がいれば身を挺してでも助けなければならない、悪事は粉砕すべく立ち上がるな
ど、正義を貫くため勇気と決断と信念を堅持しなければならないと思う。誰だって安全の
保証がなければ、あえて立ち上がるのは怖くて辛いものです。冷静さを保つに難儀であろ
うとも、非常の際こそ転化と虚実を操縦し、何が出来るか模索しなければならない。
生涯の中で、何も起こらなければ平穏だが、戦いの場面はいつ訪れるか分からないから
困るのである。
(2) 船越と自由組手
「空手二十箇條」は、空手修行の総合的な教訓、指針であること相違ない。
心構えの重要性を説くところもあれば、この条分のように相手との関わりを主眼にして
記した部分もある。今後出てくる条文も含めて、これは船越の空手に関する哲理を披瀝し
ている。内容から判断して、第14条に限らず基本練習や形の練習を対象にしてはいない。
なぜなら、基本や形の体系は「客体」（主観や目的作用とは別に存在すると考えられるも
の）であって、「主体」（行動や目的の中心をなすと考えられるもの）は組手にあるから
だ。
船越義珍は沖縄県に生まれ育ち、幼少時から安里安恒（1828～1914年）に空手を習い、
その後糸洲安恒(1831～1915)の他多くの署名空手家と交流を持ち、影響を受けたとされる。
ただし、船越の場合は約束組手が主で、自由組手にあまり習熟していなかったのではと以
前から書いてきた。
この「二十箇条」が書かれたと推定される昭和８年(1933年)頃は、船越が直接指導した
かしないかは別として、自由組手を抜きにして空手を語ることできない時代背景があって、
これらの情勢も大きく視野に入れながら「二十箇條」が現出したため、日本固有古来の武
道(在来武道という)における「勝負」に関する要点を無視できなかったのだ。
(3) 形と虚実
形の練習や「形分解組手」をいくら真剣に取り組んでも、故意に使う手（技のこと）を
変えるなら別だが、全て挙動は予め決められている。
動作が決まっていれば所詮は約束事であり、内容はパターン化され、理解しやすい利点
はあるが変幻自在の応用は容易でない。約束事なら、初動作（最初の動き始め瞬時の動き）
を感知する訓練は容易だが、技の途中変化と終点はどちらかといえば見届けは不完全とな
る。
その条件下において、虚実の使い方や工夫は不要に近くなり、一つことに専心すること
で得られる効果が狙いであり、基礎的な体の運用が到達目標となる。
(4) 嘘と誠の騙しあい
虚実が「嘘と誠」の始まりと狭義に解釈すれば、相手との間で騙し合いのやり取りが攻
防の基調となる。フェイント(ある動作をすると見せかけておいて、他の動作をする)や牽
制の掛け合いだけが作戦手法なら、これは様になりません。そればかりか、技量の上達も
人間性（あるいはスポーツマンシップ）の向上も望めない。
見せ掛けの技というのは、中身実態のないもので一般的な場面で通用しないのが普通だ。
虚は「まやかし」ではない。
また、虚実を「虚妄」と「実態」の手法だと理解するなら、空手の底は浅く低レベルの論
議に終わってしまう。鍛錬を積み重ね、鍛えぬいた人たちは、その人固有の思想と方法論
を持ち「一分の隙もない」からだ。こんな人たちは、空手界に多数いる。
反対に、相手の状態を見抜き、高度な心理作戦をもって虚実の策略を使えるなら、思う
がままに操る(操縦)ことできる。
真っ向勝負というのは、情勢を把握し判断すること完全にして、沈着な行動パターンを
形成できたとき、本当に可能な現象かもしれない。
３ 虚実にまつわること
(1) 虚虚実実
この言葉は、虚実を強調して表現するときに使う。
虚は、この字単独では「むなしい」ですが、「備えの隙」を指す。実は、「みちる」だ
から、「備えの堅い」さまを指す。これは前段で述べた。
正に武道の練習や試合の様子を知り、言い得て余りある語の用例である。
備えは、自分の「型」(形ではない)のこと。一つには、得意な構えとか絶対に崩れない
防御の堅い壁をつくることである。二つには、自分の「型」にはまったら、絶対有利の態
勢、反撃を許さない攻勢の備えである。
この備えは、他の追随を許さない鍛錬を極め、心技体が三位一体となった時に得られる
備えの根本だ。
反面、備えに隙が生じたり、隙を作られたりするなら相手から付け入れられ、隙は心の
余裕を失わせ、相手に余裕を与え、絶対不利に傾斜するばかりである。
ところが、「備え」とか「隙」など自分で発見するのは難しいものだ。『虚にして往き、
実にして帰る』という言葉がある。『修行のない者や、足りない者が師のもとに行き、刻
苦勉励し技能を得て帰る』の意味である。最初から上手な人や、優れた技量の人はいない
のが道理だ。師（先生）の前に礼を尽くし、教えを請い、謙虚な気持ちで学べば師の言葉
やアドバイスも咀嚼できるもので、漸進し上級へと進む境地に至る。この境地という言葉
も単純な心境でないから、別の機会に詳しく触れることにする。
現段階で下手でも、落胆しないで励むこと。花を開き実を結ぶのは、人によって早いか
遅いかの違いがあるだけ、倦まず弛まず精励すれば、誰でも後日立派な結実がある。
また、『奇正虚実九変の術』という言葉がある。『奇襲戦法と真っ向勝負を使い分け、
相手の虚(隙、守りの少ないところ)を攻めて実(守りや実勢の強いところ)を避けるなど、
さまざま戦況に応じた作戦や計略を用いること』の意味である。先ほどから述べてきた、
練習や試合の対応と全く同じだと思いませんか。
『人は虚実の入れ物』という諺がある。これは『人間は、必ず虚と実の両面を持ち合わ
せており、完全を期すこと難しい』から出た言葉である。いくら頑張っても払拭できない
隙や防備の不完全さもあり、又心の中の有り様かもしれない。虚の「煩悩無尽」と、実で
ある「悉皆成仏」もその一つではないか。
今月は一先ずここまでにします。この条文でもう少し述べたい課題があるので、続きは
来月にします。
（つづく）
